清陽軒の歴史

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昭和二十七年、久留米。すべては一軒の屋台から。
昭和二十七年、とんこつラーメン発祥の地である久留米に、一切妥協を許さない究極のラーメンを喰わせる屋台があった。それが「清陽軒」でした。
その清陽軒一代目の香月浩から受け継いだ味を今も伝え続ける、二代目一木公治が作るラーメンは、国産の豚骨を使用し、丸三日間かけて作り上げる雑味のないとんこつスープ。
純粋なコラーゲンを10,000mg以上含み、とんこつ本来の旨味を十分に引き出した極上のラーメンを、ぜひご賞味下さい。

清陽軒の沿革

昭和26年 飯田耕作・輝子夫妻と、香月浩が久留米市野中町で屋台のラーメン屋を始める。
昭和27年 清陽軒初代・香月浩が久留米市縄手町で清陽軒を創業。
昭和28年 久留米市の大水害により屋台を流された為、第一勧銀(現みずほ銀行)の前に屋台を移転する。
昭和38年 久留米市本町ロータリーで清陽軒本店が店舗営業を開始する。
昭和61年 清陽軒本店に一木公治が念願の弟子入りを許される。
昭和62年 清陽軒本店を久留米市櫛原バイパスに移転。
平成3年 弟子の一木公治が久留米市本町ロータリーの旧本店跡地に清陽軒の支店を開店。
平成5年 久留米市大善寺宮本に支店を移転。
平成6年 清陽軒の創業者の香月浩が引退。
平成13年 清陽軒本店(櫛原バイパス)が閉店。
平成18年 創業から54年間続いた清陽軒の最後の店が暖簾をおろす。
平成20年 熱き常連客達の支援を受け「清陽軒復活プロジェクト」が動き始める。
平成21年 1月9日 清陽軒の復活を見届けながら…香月浩が永眠。
平成21年 「清陽軒復活プロジェクト」による新生清陽軒が、新たに屋号を「久留米ラーメン清陽軒」として久留米市諏訪野町に開店。
平成24年 清陽軒2号店となる『文化街店』が久留米市日吉町にオープン。
平成25年 味のマルタイさんより、カップ麺『清陽軒監修久留米ラーメン』が全国35000店舗のコンビニエンスストアで発売。
平成26年 清陽軒3号店となる『小郡店』が小郡市大板井にオープン。
平成29年 清陽軒4号店となる『ゆめモール柳川店』が柳川市三橋町のゆめモール柳川内にオープン。
令和元年 清陽軒が復活して、10周年を迎える。
令和4年 5号店となる『ららぽーと福岡店』。念願の福岡市内に初出店!大型商業施設ららぽーと福岡内にオープン。
令和4年 清陽軒6号店となる『善導寺店』が久留米市善導寺町にオープン。
令和4年 Z'KITCHEN(セントラルキッチン)竣工

清陽軒に関わる系図

飯田 耕作(いいだ こうさく)
清陽軒の原型であるラーメン屋台を、妻の輝子・義弟の香月浩と共に創業。
飯田 輝子(いいだ てるこ)
旧姓、香月。飯田耕作の妻であり、香月浩(清陽軒初代)の実姉でもある。
香月 浩(かつき ひろし)清陽軒初代
飯田耕作の妻、飯田輝子の実弟。清陽軒の初代創業者。
一木 公治(いちき こうじ)清陽軒二代目
初代である師匠・香月浩の意志を継ぐ「清陽軒」2代目。浩の次女の夫でもある。今回の「清陽軒復活プロジェクト」により復帰。