ホーム > 清陽軒の歴史
昭和26年 | 飯田耕作・輝子夫妻と、香月浩が久留米市野中町で屋台のラーメン屋を始める。 |
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昭和27年 | 清陽軒初代・香月浩が久留米市縄手町で清陽軒を創業。 |
昭和28年 | 久留米市の大水害により屋台を流された為、第一勧銀(現みずほ銀行)の前に屋台を移転する。 |
昭和38年 | 久留米市本町ロータリーで清陽軒本店が店舗営業を開始する。 |
昭和61年 | 清陽軒本店に一木公治が念願の弟子入りを許される。 |
昭和62年 | 清陽軒本店を久留米市櫛原バイパスに移転。 |
平成3年 | 弟子の一木公治が久留米市本町ロータリーの旧本店跡地に清陽軒の支店を開店。 |
平成5年 | 久留米市大善寺宮本に支店を移転。 |
平成6年 | 清陽軒の創業者の香月浩が引退。 |
平成13年 | 清陽軒本店(櫛原バイパス)が閉店。 |
平成18年 | 創業から54年間続いた清陽軒の最後の店が暖簾をおろす。 |
平成20年 | 熱き常連客達の支援を受け「清陽軒復活プロジェクト」が動き始める。 |
平成21年 | 1月9日 清陽軒の復活を見届けながら…香月浩が永眠。 |
平成21年 | 「清陽軒復活プロジェクト」による新生清陽軒が、新たに屋号を「久留米ラーメン清陽軒」として久留米市諏訪野町に開店。 |
平成24年 | 清陽軒2号店となる『文化街店』が久留米市日吉町にオープン。 |
平成25年 | 味のマルタイさんより、カップ麺『清陽軒監修久留米ラーメン』が全国35000店舗のコンビニエンスストアで発売。 |
平成26年 | 清陽軒3号店となる『小郡店』が小郡市大板井にオープン。 |
平成29年 | 清陽軒4号店となる『ゆめモール柳川店』が柳川市三橋町のゆめモール柳川内にオープン。 |
令和元年 | 清陽軒が復活して、10周年を迎える。 |
令和4年 | 5号店となる『ららぽーと福岡店』。念願の福岡市内に初出店!大型商業施設ららぽーと福岡内にオープン。 |
令和4年 | 清陽軒6号店となる『善導寺店』が久留米市善導寺町にオープン。 |
令和4年 | Z'KITCHEN(セントラルキッチン)竣工 |
令和6年 | 清陽軒7号店となる『西鉄久留米駅店』が西鉄久留米駅構内にオープン。 |